なんじ、祈れ

ネズミの穴(考察)

 

ノートル=ダム・ド・パリを読み直したのは、1年ほど前。
舞台を観劇したことが何よりのきっかけでした

 

そして原作の深淵に触れ、奥深い人間観察を全ての人に読んでもらいたいと思うようになりました。

 

特に大きなきっかけは第6編-2 「ネズミの穴」を読んだ時でしょうか。
ネズミの穴が忘れられないように、穴の入り口に置かれた聖務日課書がミュージカル舞台と重なった時です。


ネズミの穴に何があるのかわからなければきっとこの聖務日課書も忘れられるだろうと思ったのです。

そういう気持ちで、何か伝えようとした時に、同じように考える仲間と出会いました。ネズミの穴はそういったきっかけをくれた大好きな1章です。

現代社会にいる私たちは、舵の壊れた船に乗って波間を漂っているのと同じです。一度大きい波が来ると、沖へ沖へ流され、そろそろ岸辺に帰るのが困難になっているように思います。

 

カジモドやその他の登場人物はこの船にかけられた深海の奥底に沈んだ錨です。気づかなかったけれど1831年にユゴーが船にかけておいてくれたのです。
この錨は、沖へ沖へ流されようとする私たちを静かに引き止めていてくれます。

私たちもこの錨の助けになるくらいのことはできるかなと、このネズミの穴の考察をはじめました。

ネズミの穴に何があるのか、好奇心旺盛な方にどうぞ伝わりますように。
またネズミの穴の存在に気づかせてくれたミュージカル舞台ができるだけ続いてくれることを心の奥底から願っています。

そうして祈り続けることで、いつかが少しでも今に近づけばいいなあと思います。


最後に「海に働く人々」の序文を引用して

宗教、社会、自然 ーーーーー
この三つが人間の闘争であり、同時に必要条件である。人間は信仰上の理由から寺院を創造した。生きる上の必要から都市を創造し、鍬と船を生み出した。
これら三つの解決には三つの戦いが包含されている。
人生の困難とは、全てこの三つから発生するといっても過言ではない。人間誰しも、迷信、偏見、自然力という障害と関わりあう。三つの宿命(アナンケー)、教理の、法律の、自然の宿命がのしかかってくる。
「ノートル=ダム・ド・パリ」のなかで作者は第一の宿命を告発した。「レ・ミゼラブル」では第二の宿命を指摘したが、ここでは第三の宿命を描いている。
人間を覆うこの三つの宿命に、内なる宿命それも最高の宿命・人間の心が加わるのである。

 


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(最終更新日:2019年4月12日)