今を考える ーノートル=ダム•ド•パリと印刷術

ネズミの穴(考察)

物語のはじまる年、1482年

1482年の1月6日に「ノートル=ダム・ド・パリ」は始まります。この年、カジモドは20歳、エスメラルダは16歳とされています。この物語が始まる16年前にカジモドはクロード・フロローに拾われ、また、エスメラルダとの運命もその頃から結びついています。原作では、カジモドは4歳の頃に捨てられ、クロードに拾われました。このストーリーの骨格は1462年にカジモドが生まれた頃から始まり、1482年へと繋がっているわけです。ユゴーはこの日のことを、歴史に残る事件があった訳でもない日としています。

この年を選んだ理由…..印刷術と民衆への思い

物語の冒頭にはそれは今から348年6ヶ月と19日前とされていますから、この物語の現在とは1830年7月25日なのです。この日、シャルル10世の統治下で7月勅令が発令されました。これは「定期刊行物の自由の停止」「選挙法改正」という言論統制と反政府派の一掃を示していました。ここから市民と自由主義のブルジョワ階級(反政府派)が暴動を起こしたのが7月27日〜29日まで続いた7月革命です。この時ノートルダム大聖堂も暴動の対象とされ、破壊されます。

1483年はルイ11世が亡くなる年なのですが、1830年にユゴーが作った原案の時は、1483年を舞台にする案もあったようです。1482年を選んだのは、ストーリーからルイ11世との結びつきを弱めるため、という見解もあるのですが、1462年のマインツでの事件がこの物語のきっかけとして最もふさわしいように思われたのではないかと思うのです。1462年ドイツのマインツ市は戦場となり、市民はそれまで保持していた自治権を剥奪されます。その中で、フスト、グーテンベルクの印刷所も焼けてしまいます。この出来事が、ヨーロッパ中に印刷術が伝播されるきっかけともなりました。こうした年に、ヨーロッパのどこかでカジモドは生まれます。4年後、クロード・フロローに拾われて鐘撞番として20歳となった年、年に一度、市民が自由になれる日から始まるパリの物語なのです。

民衆の時はまだ…….

原作の中で、クロード・フロローの「あれがこれを滅ぼすだろう」、フランドル人のジャック・コプノール親方の「民衆の時はまだフランスには訪れておりません。」というセリフが出てきますが、これらの示す意味に印刷術があります。グーテンベルクがマインツで発明した印刷術は、一歩ずつ進んでいた人類の歴史を大幅に動かしたと言えます。印刷術が出来上がるまでの世界では文字を一般の人が読む、ということは身近ではありませんでした。羊皮紙で書かれた写本の多くは修道院に収められていたし、非常に重たく高価なものでした。印刷できるようになったことで、たくさんの思想や歴史、叡智といったものが出版されていく中で、ようやく自然科学、精神学、哲学、医学、法学、音楽、経済学といったありとあらゆる学問が花を開いていきます。また、文法書や教科書といったものも簡単に刷れるようになると、上流階級だけでなく、一般市民が本を読めるようになっていきました。徐々に民衆の時へと時代を動かしていくことに繋がっていったのです。

建築物の隆盛と衰退

中世に話を戻しましょう。ゴシック建築は中世の都市化する中で市民が集まり、キリスト教を学ぶ場としても使われました。そのために大きなステンドグラスには、イエス・キリストにまつわる話や、寓話や、教訓といったものが描かれ、石像が作られて、文字が彫られていました。大聖堂そのものを聖書にして、人々は本を読むのと同じように、建築から教義を学んでいました。日本人にはあまり馴染みがありませんが、こうして信仰を学ぶことは法律や道徳を学ぶことにもなります。中世当時の治安問題を考えると、こうして信仰を広げることは、都市を守るためでもあったと考えられます。この建築にとってかわったのが、印刷術によって刷られた「出版物」でした。特に鉛合金でできた活字から生まれた出版物の登場は、この建築物の衰退を意味していました。建築物よりも強固で、気軽に広がるメディアが生まれたわけです。建築物はそれまで人々に生かされながら増幅して建て直されながら、息づいていたと言えます。ノートルダム大聖堂は特にいくつもの時代を超えながら、統一感はないものの、その時代を受容しながら多様性と叡智のある建築物でした。

大聖堂の荒廃と、「人」

1830年の7月に大きく破壊されてしまったこの建築物を目の前に、ユゴーは危機感を持ちました。印刷術そのものが元凶でこの事件を引き起こしたわけではありません。ユゴーは印刷術を使う「人」に焦点を当てていったのです。そうした中で1482年という時代が選ばれ、大聖堂、魔女狩り、ジプシーといったモチーフで物語を組み立てていったと考えられます。印刷術のもたらす影響の大きさを根本から見つめ直したといってもいいでしょう。民衆の時代の訪れを目の前にして、「群」と「個」としての「人」を描いたのです。この物語に描かれたことは、繰り返し繰り返し、古代から現代まで形を変えながら起こっています。決して1800年代の近代化のため、支配から民衆の時代へ変革する時期のため、大聖堂を守るためだけに作られた物語ではないのです。その根幹に気づいた時に、この物語の深さは今まで以上に重く、私たちに残された課題の多さに気づくことになるでしょう。

現代のメディアをどう、使うか

現代では、すでにこの出版物が斜陽になり、1830年代に書かれた大聖堂、建築物と同じ運命に変化するその目の前に私たちはいます。1830年代に建築物を保護していったように、もうすぐ出版物もそうした保護される対象になりつつあります。同時代の文化というのは、その時代に使われなければ、ユゴーの言うように骨と皮だけになって、ただ残されるだけとなっていきます。肉はつかずに、忘れられていく出版物の中の一つにこの「ノートル=ダム・ド・パリ」も分類されるようになるのでしょうか。人が繰り返してきて、現在も繰り返し続けている現実を伝えるこの「物語」は、フランスの、近代と中世の物語の一つとして埋れていく最中にあるように思います。1450年代から人々が作り出してきた印刷物の第2のバベルの塔は、デジタル世代となって第3のバベルの塔に変化しています。しかも印刷術のように400年近くかけて徐々に積み上げられるのではなく、爆発的なスピードで進化しています。今や出版物も、それなりに「Art」としての役割は果たしていくでしょうが、スマホやタブレットといったツールの発明のおかげで、もうすでに文字メディアの中心としての役割を終えようとしています。現代の私たちは、このデジタル化されるメディアにバトンを渡す最中にいるのですが、今の使い方で果たしていいでしょうか?そのうちにこの書物を、過去の文化を忘れ去り、壊して更地にしてしまう時代が来るのではないでしょうか。一文字の重みを失った現代人のデジタルメディアの使い方は課題が多く残されているように思います。ユゴーは人間は3つの不条理と対峙する、といっています。自然、信仰、社会です。この不条理は例えば、災害や病気、迷信、偏見といった形で私たちに突きつけられます。この物語ではその時代にいる人の、不条理に対峙する一人一人の「生き方」を常に問いかけているのです。印刷術で初めて刷られた本は「聖書」でした。印刷術と同じように、こうした現代の文字メディアにもまた、祈りがあることを願います。

 


関連項目

 

(最終更新日:2019年4月12日 記:むじな)