ノートルダム大聖堂の美しさ

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2019年4月15日夕方、パリのノートルダム大聖堂で火災がおきました。日本ではまだ明け方だったため、筆者が知ったのは朝のニュースの一報でした。

この日を覚えておくために、この大聖堂の美しさとその意味をまとめておきたいと思います。

私はまだこの建築物を実際に目にしたことがなく、本来の姿を目にしたかったと思っています。

私の知識の中だけのことですが、美しい姿をわかりやすく紹介します。

詳しくは「ノートルダム大聖堂」、「薔薇窓」のページをご覧いただければ幸いです。

 

美しいノートルダム

 

 

ノートルダム大聖堂はパリのシテ島にあり、パリが首都になる前から、大聖堂が建てられてカトリック教会として存在していました。今の大聖堂は1160年ごろに3番目に建て替えられたものです。発展していくパリの中心として、街を見守り続けた「パリの貴婦人(ノートルダム)」。つまり聖母マリアのための大聖堂として作られました。

この西正面(ファサード)は四角い形の二つの双塔と、薔薇窓、尖頭アーチの入り口で構成されていて、ロマネスク様式の雰囲気も残しています。他のゴシック建築にはない「安定感」のあるデザインです。白く美しい建物で、ゴシック建築の代表として世界中に知られています。

 

 

ベースは頑強な石造建築で、それを支えているのがリブ・ヴォールト(アーチ状の高い天井のデザイン)と、外側の足のようなデザインのフライングバットレス。リブ・ヴォールトは、建物内部で見ることができます。(上記写真の天井部分)この頑強な造りのおかげで、重く大きなステンドグラス窓を支えることができています。

 

これは「ゴシック建築」という、13世紀以降の様式です。ゴシック建築は、何のために作られたのでしょうか?

 

市民の祈る場としての役割

 

ゴシック建築の特徴は、大きな建築物であることです。12世紀、カトリック教会を中心に宗教で統一化する中、パリは都市化していきました。その中で、市民が集まる場所が必要だったのです。そのためにそれまでの教会以上に大きな建物が必要になりました。

特にノートルダム大聖堂は、当時識字率も低かった市民たちに、聖書の代わりとしての活用意味もありました。ステンドグラス、聖人の石像、そういった建物全体で、人々は学んでいたんですね。

そうして建て直されながら、人々の中で生きてきた大聖堂。19世紀、市民の暴動にあい、破壊されてしまいます。

 

大聖堂の再建と、多様性の象徴

 

 

1830年7月革命の折、市民の暴動によって壊された大聖堂は、ヴィクトル・ユゴーの「ノートル=ダム・ド・パリ」をきっかけに市民たちの中で考え直され、そして再建の道を歩みだしました。1845年から20年間で再建され、今回の火災で焼け落ちた尖塔の部分もその時に復元されました。ノートルダム大聖堂は、そうした民衆の時代の幕開けの象徴として、宗教上の意味を越えて人々に愛されるようになりました。

 

この建物から見える光景はまさにユゴーが例えたように、大聖堂の双塔が山であり、パリの街が大洋だった、と言える雄大で美しい景色です。

その後も第二次世界大戦の時、様々な困難が世界を覆った時、ここに多くの人が集い、祈りを捧げてきました。パリの人たちにとって、19世紀の再建時に生まれた自由と、多様性の受容の精神は、常に生かされていると思います。難民の受け入れ体制、アートへの関心、思想への関心、様々な歴史の中で、彼らが受容してきたものの象徴が、「ノートルダム大聖堂」なんですね。パリの人々にとっての心の拠り所でもありますが、世界にとってもこの建物は歴史的価値以上のものがあると感じます。

現代に入っても、2000年に入ったころから、老朽化の一途を辿り続けていた大聖堂の状態を少しでも回復すべく、世界中から寄付を募っていました。そして2017年ごろからようやく建物の改修の目処をつけ、少しずつ改築していくはずだったのです。

2019年4月15日、大聖堂の人たち、パリの人たち、消防活動の方々が、相当な努力をされてこの歴史建築物と、文化財の保護に尽力されたことを思うと、胸が痛みます。

 

最後に、ユゴーの一節を。

フランスの大聖堂の中での老女王とも呼べる大聖堂の顔面には皺と並んで必ず傷跡が見える。(p.217)

ひとことで言えば、神の行った天地創造と同じように、力強く豊かな人間の創造物であり、人間は神の創造から多様性と永遠性という二重の性格を盗み取ってこの大聖堂を作り上げたように思うのだ。(P.219)

お間違えにならないように、はっきり申し上げるが、建築は死んでしまったのである。永遠に死んでしまったのだ。(P.373)

将来の建築物がどうなるにせよ、とにかくこれから作られる新しい記念建造物を待ち受ける一方で、昔からある記念建造物もまた、大切に保存していこうではないか。民族生粋の建築を愛する精神を、フランス国民の胸に吹き込もうではないか。(P.16)

 

(最終更新日: 2019年4月16日 記:むじな 写真提供:キセツ)