ノートル=ダム•ド•パリの読み方

ネズミの穴(考察)

人間は、いつから人になったのでしょうか。

ただ、この問いかけを真摯に考え続けた人、それがヴィクトル・ユゴーです。

文明を開花させた時代よりもっともっと前の、例えば猿人でいた世界を想像してみてください。人は、いつから人になったのか……..。

鳥類、哺乳類と呼ばれる種類の生き物には、「弔い」という感覚があるそうです。それは恐らく、番い(つがい)の感覚が養われた頃から、動物には弔うという感覚、精神が養われてきたということかもしれませんし、その根源は慮ることしかできません。そういう意味では植物も、虫も、爬虫類もありとあらゆる生物は見えないだけでそういった精神の中で生き抜いているかもしれません。
象が、お葬式をするという話もあるし、多くの動物は、死に対して恐怖心がある。逆をいうと、その恐怖が異性との交流を生み、子孫繁栄を生み、子孫繁栄の心が愛も憎しみもどちらをも生んできたともいえます。

ノートル=ダム・ド・パリの根源には、こうしたユゴーが考え続けた自然界や、人間社会、科学、文化、心があり、それが凝縮されているのです。

さて、何故人は人になったか。あなたはどう答えますか?

人が石を持ち、道具で火をおこしたときでしょうか?

弔いと畏れが祈りになった時から?

雌と雄ではなく男と女となった時から?

人が知識を得て、恥ずかしいという感情を持った時からでしょうか?

人が木の実を分け合うようになった時からでしょうか?

それとも、もっと違う答えがあるでしょうか?

弔う精神と死の恐怖は、祈りを生み出しました。また同時に、道具を用いて、火をおこし、自然への畏敬と探究心へと成長しました。

人の知識を蓄えるために、また祈るために、人間は墓という石に、塔という石碑に、洞窟、洞穴の岩石に絵や文字を掘るようになりました。そういう場所は聖域と呼ばれました。

そうして時代は下り、人は今の形の塔と墳墓を作ります。この二つができたことが、ある種の文明の始まりであり、文明の始まりは必ず大きな川のそばで発展します。そして、それは現代にも見ることができる巨大なピラミッドを生み出し、たくさんの建築物を生み出します。

建築物は15世紀ごろまでは、そうした祈りと、知識と、両方持ち合わせた人間の文化でした。それにとって変わったのは、ユーデンベルクの発明した活版印刷術でした。
人類で初めて活版印刷で刷られたのは聖書でした。祈りのために作られた、この聖書が刷られた本というメディアは、人間を更なる方向へと連れて行くことになります。石に彫られた文字から、鉛に彫られた文字へと変化するのです。ノートル=ダム・ド・パリの原作はそうした時代から始まるわけです。

ノートルダム大聖堂はセーヌ川の中州に作られた建築物です。当時の文明の最たるものであり、宇宙であり、自然であり、知識であり、祈りでした。

この舞台から、人間物語が生まれてきたのです。

あなたが学生であれば、科学に興味があれば、芸術に興味があれば、文学に興味があれば、医学に、法律に、政治に、そして母親であれば、父親であれば、子であれば………..この話の中に、ひとつ、いつ人間になったのか、という問いかけが胸に響く瞬間があると思います。

ユゴーの作品は薄暗くて、難しいと思われがちですが、そうした背景の中で、この時代が選ばれ、人間とは何かを全知識をもって語りかける作品になっています。

なぜ、カジモドは生まれたでしょうか?
なぜ、フロローはこのようになったでしょうか?
エスメラルダはなぜあのような運命を辿るのでしょうか?
彼らを救う方法は、本当になかったのでしょうか?

誰が、何がこの悲しい事件の発端となったのかが語られていきます。
人間への深い愛情の中に、この物語は生まれました。

ぜひ、みなさんにも考えていただきたい。
人はなぜ人なのか。

すべての人に読んでいただきたい作品です。

 


関連項目

 

(最終更新日:2019年4月12日 記:むじな)