ヴィクトル・ユゴー

概要

ヴィクトル=マリー・ユゴー、 Victor-Marie Hugo、生年1802年2月26日 、没年1885年5月22日。フランス・ロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。日本語ではHugoをユーゴー、ユゴーが併用されている。

生涯

生い立ちと両親

Victor-Marie Hugo

1802年2月26日フランス東部ブザンソンで生まれた。父はナポレオン軍将校ジョセフ-レオポル-シジスベール・ユゴー、母はソフィー-フランソワーズ・トレビュシェ。ブザンソンは父レオポルが大隊長として赴任していた町である。レオポルは指物師の息子として生まれ、職業軍人として若くから軍に所属する。庶民の青年レオポルにとってフランス革命は千載一遇のチャンスであった。母ソフィは裕福な商人の娘として育ち、早くに両親を失い伯母のロバン夫人に育てられた。ロバン夫人は、ヴォルテール流の自由思想をもっており、その影響でソフィは無信仰だったという。父レオポルも信心に無関係な生活だったことから、二人は教会儀式を省略した市民結婚をした。ヴィクトルはこの二人の三男として生まれるが、その頃から二人の夫婦生活はうまくいかず、赴任地を転々とするレオポルとは別居する形でソフィと子供たちはパリに移り住んだ。父は生粋のボナパルト主義であり、母は王党派であったために政治思想の違いから確執が生じた。

幼少期から青年時代

ヴィクトルがパリに移り住んだ時、その家には広大な庭があり、彼の詩人としての自然愛を育んだ。また、年老いた司祭からギリシア語とラテン語を学び、この頃に詩人としての素養をしっかり身につけたと言われている。両親の関係はうまくいっていなかったが名付け親でもあったヴィクトル・ラオリーからも多くのことを学んだ。このラオリーとは、ナポレオンと確執があった将軍の軍人官僚であり、母の愛人だった。彼はその後投獄され、その後に政府転覆の画策に加わったことで処刑された。ヴィクトルはラオリーから「何よりも自由が大切」と教わったと、後年述べている。ヴィクトルの幼少期のこうした出会いが、彼の作品に大きく影響を与えていく。
一方で、父親もその頃には他の愛人女性を正妻として迎えており、ソフィとの関係は悪くなる一方であった。ヴィクトルが青年になるころ、ナポレオン体制も没落時期を迎えていた。レオポルも軍人から退役を余儀なくされ、そうした中で益々夫婦関係が悪化。そのためにヴィクトルは母親から離されて寄宿舎学校生活となった。その頃にはラテン語の素養を身につけたヴィクトルは、ラテン語の詩を翻訳したり、自作の詩を作ったりしていた。文学家としての道を歩み始めていたのである。

シャトーブリアンと王政復古

1816年頃のユゴーの日記には「僕はシャトーブリアンのような人物になりたい。それ以外は一切ごめんだ」と記しており、若くして文学の道に進むと固い決意をしていたことが伺える。シャトーブリアンは、ロマン主義の先駆者的存在として有名である。また、没落するナポレオン体制から、王政復古の気風が高まった時期である。それまで反教会的、恋愛詩を書いており敬虔なキリスト教への関心が薄い環境で育ったユゴーだったが、この頃からキリスト教的詩を書くようになった。シャトーブリアンはキリスト教の歴史的芸術的美しさや壮麗さを文学におこし、当時のパリの青年たちを熱狂させた。ユゴーは十代の頃に詩人として開花した。古典主義から、文学的・芸術的自由、中世の美術様式への回帰するロマン主義の時代になっていた。1821年には母が死去し、1822年にアデール・フシェと結婚する。この頃は熱心な王党派の詩人としてもてはやされた。ルイ18世から年金を与えられるほどに成長した。このころには父との仲も回復していたが、1828年にレオポルが死去。王党派であったユゴーだが、1825年頃にロマン主義はより大きなうねりになった。

ノートル=ダム•ド•パリを書いたころ

ユゴーが書いた1827年発表の劇「クロムウェル」は、ロマン派文学に大きく影響を与える。古典的規則からの解放を促したこの序文によって、自由思想の青年たちも彼の元に集まるようになった。その頃に、ユゴーは小説を書くようにゴスランから依頼される。実際はもっと早く書く予定だったが、ユゴーは劇をはじめとする他の文学活動に熱心になっていた。この頃までに三男二女の子どもが生まれた。1830年に「エルナニ」を発表するが、その直後の7月に7月革命によってノートルダム大聖堂をはじめとする歴史的建造物が破壊された。ユゴー自身は王党派であったが、7月革命に参加した青年の多くはユゴーの文学活動に参加していた仲間だったため、危害は加えられなかった。家族も避難させていたため、無事だったが、ユゴーはその後「ノートル=ダム・ド・パリ」の執筆に集中した。この作品は、ロマン主義文学としての典型であるが、その中で、自由主義・進歩思想を表明していく。1830年を契機に文学の社会的役割を主張するようになっていく。

晩年

文学家、政治家としての活躍

ロマン主義の文学

主な執筆作品

 


参考文献

関連項目

 

(現在執筆途中です。最終更新日:2019年4月17日)