カジモドとフロローから考えるー本当の主人公はだれか

ネズミの穴(考察)
※この考察を読むにあたり、できればノートルダム・ド・パリを読み進めてください。ネタバレを多く含みます。また、これは1つの考え方と捉えてください。ノートルダム・ド・パリがどのような作品か、私もまだ全貌がつかめていないのが現状です。以上を踏まえて、お読みいただけましたら幸いです。以下ですます省略

ユゴーの書いた原作….主人公が不在

カジモドという登場人物は、物語論から考えて、少し特殊な存在である。その話をする前に、ノートルダム大聖堂がどのような建物かを少しだけ説明しておきたい。

1160年ごろから建築がはじまり、1250年ごろまで100年弱をかけて完成された。ロマネスク様式も少し取り込みながら、当時新しいゴシック様式に取り組み、ゴシック建築の代表格として知られている。ゴシック建築的融和性や、計算し尽くされた六分ヴォールト(アーチ)や、巨大なステンドグラスの薔薇窓。中世当時の叡智を集めて作られ、ステンドグラスにはキリストの物語が描かれ、聖人たちと自然物のような石の彫刻、つまりは建物自体が聖書だった。

当時の市民というのは文字は読めない者も多かった。そこで大聖堂という建物から学んでいた。ただし、この大聖堂が他のゴシック建築と異なるのは、統一感のないことである。ユゴーはこれをグロテスクと呼んで愛していた。グロテスクの語源から本質に迫る彼らしい愛し方である。

この建物は、中世から現代まで様々な時代を経てきた。ゴシック時代に大都市化する中、民衆の集う場所として作られ、百年戦争時代には歴史の舞台ともなり、宗教改革では煽りをうけた。そうして歴史の中心であった建物が、18世紀後半〜19世紀にかけて、幾度も市民の暴動のために破壊された。特に1830年代の退廃の様子は酷かった。ヴィクトル・ユゴーはこうした状況の中、ノートル=ダム・ド・パリを完成させたのだ。

カジモドやフロローが生まれたわけ

この作品には物語の主人公が不在だ。ただし、群像劇の構成とは少し異なる。それぞれの登場人物が物語を持っているというよりは、全体的に繋がって一つの物語に集約されているし、流れもある。主人公は設定されていると考えていいが、きっと見えにくいのだ。

そこで周りの登場人物、特にカジモドとフロローを追っていきたい。古今東西、物語にとって悪役とは単なる悪の根源というわけではなく、主人公の最も恐れる姿として登場する。例えば、神話に蛇や蜘蛛が登場するのは、彼らを最も心の底で恐れているのは主人公だからである。また蛇などがキリスト教圏やその他でも邪悪とされたことも一因だが、その根底には人間の天敵の一つであったことと、その爬虫類的な生態系にあった。こういう登場人物を元型論の言葉を借りて以降「シャドー」と呼ぶ。

シャドーは主人公が最も恐れていたり、むしろそのために、王様や父といった姿の畏れを持って尊敬するキャラクターになる場合もある。原作の中では、カジモドとフロローである。フロローは聖職者で権力者であり、非常に学問に長けていた。カジモドは醜形を持って生まれ、体は曲がり、耳は聞こえない、孤独に鐘突塔で生活していた。フロローとカジモドを最も畏れ、最も恐れているのはどんな主人公だろうか。

主人公を読み解く

この主人公をフロローからまず考えてみる。この主人公は支配を恐れている。基本的に自由を好むので、規律正しくいることを嫌うけらいがある。しかし実は頭の良さや権力については、嫌ってもいるが同時に憧れもあり、最も仲のいい友人にもなれる。ではカジモドから追ってみよう。この主人公は醜いことを最も恐れている。美しいものに憧れが強く、また噂話が好きだ。障子に耳ありというほどによく聞いている。お祭りのような騒ぎや行列に並ぶのが好きで、そういったイベントを何よりも楽しみにしているだろう。

実はこの主人公には名前がない。わかりやすくいうと匿名である。そのために隠れた主人公となったが、この物語には最初から最後まで存在している。悲しいことだが、カジモドはこの主人公のために生み出されたとも考えられる。さて、誰のことか、心当たりはあるだろうか。あなたの最も近くにいる。

カジモドはフロローをノートルダム大聖堂から落とす(原作では助けない)がそのおかげでこの物語の中では結果的に、隠れた主人公とフロロー的存在とは分離された。この主人公と権力・利己主義が一緒になると、非常に厄介な存在となるのをご存知だろうか。ナポレオン、ナチス、マキャベリストなどに代表される。カジモド本人が意図したことはないだろうが結果的に主人公を救ってくれた。このことから、カジモドはシャドーという括りだけでは説明できない。非常に特殊な存在であると感じる。そして「僕の愛した人はみんな」と大粒の涙を流す彼には孤独が残された。なぜ彼が孤独になってしまうのか、どうか考えてみてほしい。

グロテスクを愛したユゴー

ユゴーはあえてこの主人公のためにカジモドという存在を作り出したが、非常に愛情を持って作り出した。彼がノートルダム大聖堂と同じに見えてくる、と語っている。カジモドは大聖堂ほどに叡智は持ち合わせていないが、グロテスクという多様性と寛容の存在である。生まれや病気のために自然と社会の不条理を抱えながら、大聖堂を愛し、フロローを慕い、エスメラルダを助ける姿をこの主人公はどう見ただろうか?ノートル=ダム・ド・パリはこの主人公に、人間とは何か、と本気で問いかけている作品だ。そして様々な学問の根本を問いかけ、多様な人間の観察や生き様を語っている。誰しもがこの物語を読むと、一度はグサッと心に刺さる瞬間があるのではないだろうか。

 


関連項目

 

(最終更新日:2019年4月12日 記:むじな)