魔女狩り現象を考えて

ネズミの穴(考察)
*魔女裁判(魔女狩り)というページにしっかりと目を通してからこの考察を読んでください。この考察が一人歩きしないように読む方の良心があることを願います。原作のテーマの大きなきっかけでもあります。以降ですます省略。

魔女狩りの言葉のイメージ…..でも実は…..

魔女狩りと聞くと、どんなイメージがあるだろうか。私が黒川正剛著書「魔女狩り西欧の三つの近代化」を読むまでは、支配者の元、盲信的で無知で閉鎖的だった時代に起こった悲劇、というイメージを持っていた。ある意味で事実だけを今の時代からみると、その考えは間違いではない。実際に無知だったために魔女という概念を信じ込み、多くの人が犠牲になった。女性だけではなくその対象は男性も含まれる。中世社会の中で複雑化した現象に見えるが、実際横たわっている根本的な原因の数々は現代の私たちにも非常に密接に関係しており、今まさに私たちの周りでも起こっている。魔女狩りの一連の現象はもちろん排他、無知、社会構造に原因がある。しかし、そのことよりも大きく取り上げておきたい原因をこの考察で明らかにしたい。

社会現象としての魔女狩り

魔女狩りは一つ一つが事件でもあり、それが次第にエスカレートしていって社会現象に発展した。魔女狩りの始まりは裁判というものを通して行われていった。はじめは異端弾圧から始まったが、16世紀〜18世紀間に行われた魔女裁判は少し毛色が違う。古い慣習の中からというよりむしろ近代化する過渡期に起こったことである。もちろん、中世社会の支配的なカトリック教会への統一は大きな原因であるが、それ以上にその裁判に携わっていった人々がどのように魔女裁判を進めていったのかを見ることが、この現象の本質を理解することにつながるだろう。

排他的な中世社会の中で

まず一つめの大きな原因は排他と支配である。キリスト教の黎明期を抜け、10世紀ごろから西ヨーロッパ各地はカトリックを中心にキリスト教化し、都市化していった。カタリ派、ワルド派、ユダヤ教、といった信徒を治安問題や政治問題を理由に異端として弾圧していく。12世紀には異端審問が始まり、司教法令集(906年)教皇勅書(13世紀)などに書かれた異端審問の方法をもとに、判決を下していった。この方法とはほとんどが密告、証言で逮捕でき、匿名で密告可能だったため偽証などもまかり通った。拷問なども取り入れられていく。こうした異教徒の排他は迫害や差別を生んでいった。また裁判の形態にも問題はあった。多くの君主国家がある都市の裁判官は君主に任命された。15〜16世紀は裁判権と捜査権の分離がまだ黎明期の時代だったため、教皇が任命した異端審問官の主導であったことは確かだ。しかし、知っておかなければならないのは実際には教会が主導した裁判や、異端審問官が裁判を実施した例は多くない。異端審問官とともに世俗裁判官が関わっていたことが多い。16世紀以降は世俗裁判所によって多くの魔女裁判が実施された。

根拠不明で事実認定が困難….事実はなくて良かった

二つめは、迷信と偏見である。13世紀にグレゴリウス9世の時代で、各地の司教に異端審問の権限を与えた。これが異端審問官となっていく。1400年代初頭までにこの異教徒は多くが弾圧された。この弾圧がほとんど終わったと見られる頃に、魔女という概念が生まれていく。弾圧された異端者が山などに隠れたのだが、それが噂となり残っていったのであろう。異教徒は14世紀終盤にはほぼ壊滅状態にあったとされている。その頃にサバト(魔女の集会)が告発されて異端審問官が赴いた記録には、魔女の告発内容が書かれており、それを理由に判決を下している。ほぼ壊滅状態であったカタリ派やワルド派の信徒であった証拠はなく、内容も棒を使って空を飛ぶなどの信頼性の欠ける内容が見られた。おそらく伝聞であったが、さも審問官が確認したかのように事実として書かれた。こうして迷信と思わしき内容が、根拠として提示された。要は、この時異端審問官には事実の有無は必要なかったのである。
もちろんこれに反論したものがいなかったわけではない。魔女狩りの裁判記録が少ない地域もある。スペインとオランダはもともと宗教改革の折にも、それ以前も複数の派閥のキリスト教が存在していた。要するに宗教に寛容だったのである。イタリアでは厳格なローマ異端審問があり、医師などといった専門家の見解とあわせながら魔女裁判をしていたことで多くが釈放されていた。またそのほかの地域でも弁護したものがいたり、市民が批判したなどの記録が残っており、その場合被害者は釈放されている。これが示すところは迷信や偏見には根拠はなかったため、一考した場合にはうち止まった例もあるということだ。この時にはまだ現象までエスカレートしておらず異教徒弾圧の延長のように思われていた。

現象に発展したきっかけは

しかし、この後の16〜17世紀という近代化する中で魔女狩りはもっと社会現象化していってしまうのである。その時代、まだ悪魔や魔術という観念に対抗する自然科学の反論の根拠が薄かったこと、法学、精神学、哲学をはじめとする学問が未熟で、この迷信に対する反論の根拠が足りなかったことが、事態を悪くする。
クラーメルという神学者が、「魔女の槌」という魔女に関する数々の否定論に対抗し論破していくこの書物を作ったことはこの迷信を増長する大きなきっかけとなった。この内容はスコラ学(哲学と神学、自然学)を根拠に魔術が真実であると論証され、魔術への対処法、審問方法と有罪宣告方法を解説し、自然科学的な見地でも神の奇跡と悪魔の脅威を論説している。当時の学問レベルを考えると、なかなかに否定することが困難であったのだろう。この本について次に説明したい

印刷術の与えた影響

最後に語る要因の一つ、印刷と、クラーメルの著書は深く関係してくる。まだ印刷機の黎明期にも関わらず、1486年、ライン川の商業帝国都市シュパイアーでクラーメル著「魔女の槌」が印刷された。この他にも複数の魔女関連書籍、また逆に魔女を弁護したものの書籍も出版されたが、この「魔女の槌」は魔女狩りの正当な根拠と方法として有効的に使われ続けた。印刷という本は、それまでの写本と違い軽く、容易に増刷されヨーロッパ各地で使われた。彼の著書は17世紀ごろまで、魔女狩りのために使われたし、それを元にし、数々の民衆用の魔女ビラなども作られた。当時一枚ビラは木版画などで刷られ、文字の読めない農民層にも分かるようにイラストや絵画で魔女は描かれた。彼が書いた本から派生し、次々と魔女実在論の本は出版された。そういった流れから、民衆の間で熱狂的な魔女狩りの現象が広がっていったのである。根拠不明の密告や噂が、魔女狩りを当時最大の社会現象にまでした。社会現象化の大きな一因に民衆も含まれているのである。

現象化と、1冊の本

1486年印刷されたその本ができる前から、魔女狩りがあり、異端審問書籍が存在するので、魔女狩りの原因がそもそも著者の彼にあった訳では無い。この著書がどのように作られたか、またこの後熱狂的にヨーロッパに広がるきっかけとなった本の作者がどんな人だったか知りたい人はいるだろうか。
彼は小売商人の息子に生まれ、15歳の時に優れた教育環境で名高いドミニコ会修道院に入った。彼はアリストテレスの哲学をはじめとした文法、論理学、神学(自然科学含む)を修めた非常に優秀な人物で最終的にローマで神学博士となった。この時期より少し前に、魔女裁判の異端審問官を務めだした。自身の書いた魔女教書と教皇勅書、司教法例集など当時の魔女裁判で推進されていた方法を用いて務めたが、インスブルックという市に居た時、クラーメルの魔女裁判の審問方法は無制限の拷問、弁護の禁止、脅迫が伴ったエスカレートしたものであり、市民、聖職者、貴族などの反感を買った。彼の審問を調査する委員会が立ち上げられて、追放されるようにインスブルックを離れた。彼のやり方に相当な批判が上がったのだった。その後否定された魔女教書をもとに「魔女の槌」が書かれた。その冒頭で、彼はその批判に対して理路整然と反論している。そしてこの魔女論は、当時の学問レベルではなかなかに否定することが困難だった部分がある。当時彼の書籍に反論した者もいたが、彼の書籍ほどは増刷されなかったし、浸透することはできなかった。詳しい内容は冒頭で紹介した「魔女狩り西欧三つの近代化」に記されている。彼の書いた本は、様々な魔女裁判の原因の一つに過ぎないし多くの魔女裁判の著書や反論書がこの後も刷られた。彼を巨悪と言い捨てることは、その後にまた同じような彼を生んでいくことだろう。彼は哲学なども学び、当時の最先端の学問を幅広く修めていた。その能力を魔女裁判に費やしたことはそれもまた一つの悲劇である。

現代を考える

このようにまとめてきたように、現代にも簡単に同じようなメカニズムは発生する。まずは排他である。中心である自分の考えが正しいと、他(周縁)を排斥していることはないだろうか。正しいと思うことには、必ず否定が伴うことを知っていれば、少しは寛容になれるだろうか。また、迷信や偏見という形だけでなく、根拠不明な、事実認定のしにくい嘘の情報は、現代にも毎日発生している。また、その論拠に反論することが非常に難しい思想や、考えがインターネット上、印刷物で広まり、それが原因で起こった事件を目にすることも多い。もちろんそれなりの知識があれば、こうした嘘や矛盾に気づけるかもしれない。しかし、自分はわかると慢心してはいないだろうか。そして、迷信とわからない迷信に出会った時に、自分自身が事実だと思ったとしても、一度真実かどうか?これを広げて良いものかどうか?と立ち止まっていくことの大切さを魔女裁判の過去から学ぶことはできるだろうか。その時にどうしたらいいのか、考えていただく一助になればいい。

 


関連項目

 

(最終更新日:2019年4月12日 記:むじな)